|
暦の歴史 (「知の再発見」双書)
ジャクリーヌ ド・ブルゴワン
創元社
売り上げランキング: 385,973

去年、映画「天地明察」とその原作を読んでから暦について興味を持っていたものの、関連本に手を出すまでには至らなかった。最近になってたまたま読んだのが本書『暦の歴史』なのだが、もしかしたら天地明察にふれる前に読んでおいた方が良かったかもしれない。天地明察で登場する歴とは、天文の真理を反映したものであり、歴の編纂に挑戦する渋川春海は真理の探求者であった(もちろん改暦に係る様々な政治的な事情は解説されているけれども、歴そのものではない)。しかしながらそれは暦の一側面でしかない。本書を読むことで、暦というものがいかに人類の文明を反映してきた「人間臭い」代物でもあるかが分かるからである。

本来、暦とは太陽や月の動きなどの自然現象の周期を把握するものであるため、暦の規則は自然現象に基づくものであるはずだ。1年や1日といった単位とその関係は天文の法則に従って決められている。しかしながら、なかには自然現象とは無関係に定められた暦の規則もある。週というのがその代表例である。7日間を1週間として定め、そのうち日曜日を休日とするグレゴリオ暦はキリスト教の教えを反映したものであって、少なくとも科学の視点にたった自然現象とは何の関係もない。さらに言えば、西暦年のカウントの仕方もイエス・キリストの誕生年を基準にしたものである(しかも本書によれば基準であるはずの誕生年は史実とは異なるらしい!)。このほか、世紀や四半期といった区切り方も完全に人間社会の都合で作り出された規則が暦には沢山関連付けられている。

このように自然現象とは無関係な規則が暦に存在するのは、人間が社会という人工的な世界の中で生きていくために多くの人が共有する規則が必要だったからである。だから、暦の歴史を知ることは人類の習俗を知ることなのである。

このようなきわめて人間臭い暦を著者は「地層」に例えている。

「歴を地層の歴史にたとえることは,あながち間違っていないだろう。暦も地盤と同じく土台を形成する。つまり, 集団生活の基盤を提供する。またそれは地盤と同じく,過去から受け継いだものでできている。そこには途中で外部から混じり混んだものや,積み上げられたものもあれば,時の計測の一律化や脱宗教化といった,深部の力の作用を受けて変質したものもある。また,断固たる政治的意志によって掘り返され,ひっくり返され,利用されることもあれば正確さが求められて,新しい技術を取り込むこともある。だが,その結果できあがったものはつねに,それ自体長い歴史の所産であるその土地その土地の基層によって異なっているのである。」(p.115)

本書はこうした様々な土地の「地層」を豊富な図解によって解説していく。世界中の暦をコンパクトにまとめている一方でわりと深い話もしているので若干解説がわかりづらいところはあるが、そんな時は適当にフルカラーで掲載された様々な歴史上の暦の写真を見て楽しむのでも充分だと思う。

本書を読んで特に私が面白いと感じた部分は、フランス革命後に編み出された暦法版エスペラントともいうべきフランス革命暦である。革命暦は1793年から1805年までの12年間フランスで用いられた暦法であり、これまでの暦の慣習を改め徹底的な合理化が図られた。例えば革命暦では1日が10時間であり、1ヶ月はすべて30日にして余った5日は年末に「サン・キュロットの日」としてまとめられた。7日を1週間としてまとめるキリスト教由来の概念も排除された。特に最後が重要であった。著者はこう語る。

革命暦は1973年10月5日,恐怖政治の最中に発令された。それは時を非キリスト教化しようという意志の現れでもあり,主の日として特別視されていた日曜日をなくし,「司祭の死体置場」だった暦から聖人を一掃しようというものだった。

このような歴の脱宗教化が図られたフランス革命暦であったが、結果としては民衆の間にあまり広まることはなく、ナポレオンの手によって破棄されることとなる。結局のところ暦とは自然現象と合理的精神だけに立脚したものではなく、人々の信仰や文化との結びつきがなければ成り立たないということを革命暦の事例は教えてくれる。

ゴールデンウィークということで、普段は休みになるということにしか興味が湧くことがなかった祝日の由来を振り返ってみるのも面白いかもしれない。そこには先人たちの思想・文化・習俗という「化石」を垣間見ることができるかもしれない。

トラックバック