本書『波止場日記』は、沖仲仕の哲学者エリック・ホッファーの日記である。エリック・ホッファーは完全に独学で植物学や哲学などの様々な学問を修めるだけの才能を持ちながら、アカデミズムに染まることを忌避し、肉体労働と知的生活を行き来する生涯を過ごした風変わりな人物として知られる。そんな彼が書く日記は、日々のどうということのない港での労働風景を描いているようで、気が付かないうちに哲学的な思索へと入りこんでいく、不思議なリズムを持った文章である。
本書は単なる日記ではなく、ある思想書を書くための準備として書かれたものであることが作中で述べられている。著者によれば、それは知識人に関する思索をまとめたものだという。以前にとり挙げた『大衆運動』でも重要なテーマとして取り上げているが、ホッファーは著作の様々なところで知識人や教育者に対する批判を述べている。本書では例えば、以下のような文章がある。
「ときどき、教えたいという衝動ー学びたいという衝動よりもはるかに強力で原始的ーは大衆運動を盛り上げる一つの要因なのではないかと考えたくなる。共産主義者会がどうなっているかをみればよい。世界の半分は十億の生徒をもつ巨大な教室と化し、狂った教師たちの想いのままになっているではないか。」 (『波止場日記』p.38より)
ホッファーは肉体労働をともにする人々の大衆運動に動員し、統制社会へと巻き込んでいく知識人を警戒し、批判していた。『大衆運動』や本書でかいま見える知識人批判は、近年よく名が知られるようになった『アメリカの反知性主義』のコインの裏であり、どちらも「知識人はどうあるべきなのか」「大衆は知識人とどう付き合っていくべきなのか」を問うている。
単なる日記を超える思索に満ちた書としておすすめしたい。